08


俺の頭が冷えたころにはとうに謝るタイミングを失っていて、声をかけようにも厨房に引っこまれてしまえば、いつも通りにカウンターから名前を呼ぶことすらためらっちまう。
コーヒーを淹れに行ったのだと分かってはいても、姿を見せないツユキに拒絶されているような圧力を感じて、胸に詰まった重い空気を深々と吐き出した。
変な意地なんて張らないで一言ごめんってツユキを抱きしめれば済むことだったのに。こんなことになっちまって。
でも、そんなことすんなり出来てりゃ苦労しねェよ。
カウンターに突っ伏してぐだぐだ考えていた俺は足音に顔を上げた。恐る恐るカウンターの向こうのツユキを見上げる。
不機嫌さを貼りつけて引き結ばれた口元は、もう俺のために開いてくれることは無いかもしれない。合わせてくれない目が容赦なく俺をえぐる。
いつもの照れ隠しだったらいいのにとツユキをじっと見るけれど、やっぱりそんなわけはなくて。
うわ、やばい。俺泣きそう。
目の前にピンク色のカップが置かれた。がちゃり、というツユキらしくない乱暴な音が、また俺を刺すようで。それでもとっさにその手首をつかんだ。
早く何か言わねェと。とにかく逃がしちまわないように手に力をこめるとやっとツユキと目が合った。
「・・・あ、あのさ、ツユキ」
言葉が続かなくなった。
強張っていた表情がみるみる崩れて泣き顔に歪む。ついと顔を背けたツユキの赤い頬と伏せられた目。
「・・・ツユキ?」
一瞬俺が怯んだすきに、掴んでいた手は勢いよく振り払われた。
「あ、おい!」
再び掴めるはずもない。まぬけな俺をぽつんと残してツユキは厨房に走って行ってしまった。
俺があんな顔させちまったのか。ますます、もう元には戻れないような気もしてくる。
ツユキとは終わりにしたくなかったのになァ。
注文してもいないのに目の前に置かれたカップは、さっさと飲んで店から出ていけということだろうか。
俺はどうしたらいいんだ。どうしようもなく、さらにつらい。
手元にカップを引きずってきて中を覗きこんだ。
はっと息を呑む。
水面に映った惨めな俺がこちらを覗き返すはずのカップの中、そこには柔らかな色のカフェラテに白いハートが浮かんでいた。
どんなに頼んだって、嫌ですの一点張りで作ってくれたことのなかったハートのラテアート。
カップに手をかければミルクのそれは小さく揺れて、口を付けたカフェラテはどこまでも甘くて、

「勝手に入ってこないでください!ちょっと、蜂散さん!?」
たまらず駆け込んだ厨房でじたばた暴れるツユキを無理やりに抱き込んだ。
逃げ出すことができないように腕に力をこめる。
耳まで赤くしたツユキにやりと覗きこんで
「情けない顔してんなァ」
「・・・み、見ないで下さいっ」
悔しそうにしながらも背中に手がまわされた。ぎゅっと抱きしめ返される強さがどうしようもなく愛おしい。
「蜂散さんだってさっきまでこの世の終わりみたいな顔してたくせに」
ついつい苦笑いがうかんだ俺の両頬にツユキがそっと手を添えた。
合わされる目の奥の緑色がぐっと深さを増す。
引き込まれるような錯覚のあと、気付けば優しく押しつけられている唇。
驚く俺に、ツユキは恥ずかしそうにゆるりと笑った。