ふたりとさんにん


「いつになったらそこから出てくる気なの、ネム」
 返事を期待したわけではないけれど、思わずため息をおとしてしまう。お皿もカップも全て磨き上げて、キッチンにひとつ残ったティーポット。その中には真っ白なインコがむっちりと詰まっていて、促すように名前を呼んでも、ネムはじっと俺を見上げるだけだった。
 今日はカフェはお休みで、図書館で借りた本も読み終わってしまったから、手持無沙汰なのが勿体なくて、おれはひとりキッチンで食器を磨き始めた。窓の外はもうすぐ終わってしまう春。ついこないだ芽吹いたばかりと思っていた街路樹は、緑を濃くしてもう夏の準備をしている。こんなに気持ちのいい青空だから、全部終わったらネムと散歩に行こう、そう思っていたのに。
「いいかい。これが最後の一枚だからね」
 クッキーを口元に持っていくと、嘴で器用に食べ始めた。にらみ合いが始まってから五枚目。ご機嫌うかがいのクッキーもどうやら意味はなさそうだ。体ほどもあるクッキーをあっという間にたいらげて、次は?とでも言いたげに俺を見る目線。
「出てこないとあげないよ」
長期戦の覚悟をして、ティーカップをもってカウンターに移動した。

ネムが俺の前に現れたのはいつだったか。きちんとは覚えていないのだけど、たしかやっと一人でいることに慣れて、カフェに常連さんがついてくれる少し前。セピアさんがいなくなってずっと一人だったけど、ネムが来てくれたから、二人になったんだ。
はじめてネムを見つけた時も、そういえばネムはティーポットに詰まっていた。あの時俺はびっくりして危うくティーポットを落としかけた。慌ててつまみ出して、またびっくりした。インコにしてはあまりに大きかったんだ。たとえて言うならあの真っ白いモッツァレラチーズ。もっちりしていて、丸くて、大きい。手の上に乗せて眺めると、かわいい、というよりふてぶてしかった。
当時よく売れ残っていたクッキーを口元に差し出すと、何枚でもよく食べたから、俺はそれを気に入って、すぐに追い出すようなことはしなかった。いつの間にか現れたから、いつの間にかいなくなってしまうだろうと思っていたけれど、結局ずっとこのカフェにいる。そして居心地がいいのか時々ティーポットの中にいる。今日みたいに出てこないのははじめてだけれど。
カウンターの上でクッキーをちらつかせてみせるが、ネムはそれを目で追うだけ。一向に効果はなさそうだ。
出会った時よりもずいぶんネムは大きくなった(いろんな意味で)けれど、ふてぶてしい目は変わらない。ちらつかせていたクッキーを、諦めて自分で齧ると、今度は俺に目を向ける。何か怒らせるようなことをしちゃったのかな。クッキーの甘さを感じながら考えたけれど、思い当たる節はなかった。黙ってネムと見つめあった後、早く出てきて欲しくて、ネムをつついた。

勢いのいいドアのベルの音が、見つめあうしかない時間を破った。
「ツユキー」俺の名前を呼びながら、蜂散さんが店に入ってきた。何してんの、と軽い足取りで俺の隣に座る。
「蜂散さん、あの、」
話し始めようとしたところで、げ、と蜂散さんは整った顔を歪めた。
「なにしてんのこいつ」
そんな蜂散さんにむかってネムも強く嘴を鳴らした。威嚇するような鋭い音。
ネムと蜂散さんは天敵同士なのだ。ネムはなぜか蜂散さんのことが好きではなくて、よく指を噛んだり皿の上のクッキーを食べてしまったりするのだ。そのせいで蜂散さんもネムのことを嫌っている。
「クッキーをあげても出てこないんです。理由は分からないんですけど」
ふーん、とティーポットを手に取った蜂散さんは、
「じゃあ今日は何もできないわけだ」
ネムに対して不敵に笑いかけた。
「本当に出てこないの、こいつ」
蜂散さんがつまんで引っ張り出そうとする。何度か持ち方を変えて繰り返す蜂散さんを俺は慌てて止めた。
「や、やめてあげてください」
俺の言葉に手を止めて、目の前でしげしげとネムを眺めると蜂散さんはぽつりとつぶやいた。
「ツユキ、こいつ抜けなくなってんじゃねえの?」
「え!?」
思わず声が出た。驚いて聞き返す。
「どういうことですか?」
蜂散さんはネムと、俺の手元にある数枚のクッキーに目を走らせた。
「クッキーって何枚あげたの」
「五枚、です」
俺の返事に蜂散さんは呆れた目を向けた。
「今までこんなことなかっただろ」
 何も言わないで頷き返す。
「おなかが膨れて出てこれなくなってんだろ」
 やれやれと首を振って蜂散さんは続けた。
「いいか、ツユキはいつも甘すぎる。こんな大きなインコ、俺は見たことない。食べたがるからって食べさせすぎだ。この間だって俺の皿のクッキーを全部、アイタッ!」
ネムが蜂散さんの指を噛んだようだった。
やったな、と蜂散さんがネムの頭をぐりぐり押すので、慌ててティーポットを取り上げた。
「ネムをいじめないでください!弱い者いじめはいけません!!」
「いつもクッキー食われてるから俺の方が弱いよ、ツユキ!」
「屁理屈は聞きません!!」
差別だ!、叫ぶ蜂散さんを背にして俺はネムに謝った。
「気づかなくて、ごめんね」
返事をするようにネムが嘴を鳴らす。ゆっくりと柔らかい音で二回。きっと許してくれるのだと思う。
 振り返って、不機嫌を隠さない蜂散さんに笑いかけた。
「散歩に行きませんか?」
そしてカウンターの中に入ると、バスケットにテーブルクロスを詰めた。これでティーカップごとネムを入れても安定するだろう。まだいい天気だ。喧嘩する二人をなだめて、三人で散歩に行こうと思う。


睡蓮さん宅蜂散さんをお借りしました。
twitterにて #擬リヴ深夜の2hワークス
(2014.04.21)