朝ごはん戦争
皿の端の緑色の塊。ピーマンとベーコンの炒め物から、フォークで丁寧に分離されたピーマンの山だ。
「おい」
必死にピーマンを除ける手を止め、こじんまりしたキッチンのテーブルの向こうから苦々しげな顔をする悦。
正面から俺を睨み付け、右手にフォークをもったまま、左手で傍らのノートにぐりぐりと文字を書いた。
[ピーマン嫌だよ、苦いもん]
ぶすっとむくれたまま子供みたいなことを言う。食べる意思がないことを見せつけるように悦は皿を前に押し出した。
こいつは嫌いな食べ物を絶対口にしようとしない。問題は、その種類がとんでもなく多いこと。ピーマン、にんじん、牛乳などなど、数えきれないくらい。
そのくせ好きな食べ物は、いつまででもどれだけでも食べ続けるのだ。俺が見てなかったら、何を食ってるのか分かったもんじゃない。ぶっ飛んだ不摂生。
悦は強烈に頑固だから一口食わせるのにも一苦労で、俺は食事のたびに手を焼いているのだった。
朝飯からこの調子じゃ、今日も先が思いやられる。また一日中繰り返されるでだろう攻防のことを考えると、頭の痛くなる思いがした。
[こんな味の食べ物がこの世にあるなんて信じられない]
悦が頬杖をついてノートに書いた字を見せてくる。俺が読んだことを確認するとすぐに下に書き足した。
[それにこの色見てよ。こんな鮮やかな緑色おかしい。誰かがペンキを塗っていったにちがいないよ。危険すぎる、こんなのハートの女王だって食べない]
また始まった。柱にかかっている時計を盗み見る。
時間は大体いつも通りの八時ちょっとすぎ。図書館開館二時間前。書架整理をしなくてはいけないから、九時までには食べ切らせないと。
目の前でピーマンをフォークで穴だらけにする悦を見て、俺は気を引き締めた。
悦はと言えば、フォークでつついてはいるが、食べる気は全くないのだろう。本当につついているだけだ。こちらが折れるのを待っている、いつものパターン。
ちらりと窺うように俺を見て、目があったらそらして膨れっ面をする。
子供じみているが、子供じゃない分たちが悪い。
膠着状態が続く中で、悦がペンを走らせた。
[商店街の、あのカフェのケーキを買ってきてくれるのなら、食べてあげないこともないよ]
食べてあげるって・・・、思わず呆れた声がもれた。
「そういう問題じゃないだろ」
俺の言葉に悦が睨み付けてきた。目の奥の鋭い光。悦は口がきけない分、目の語る力が強いのだ。思わずたじろいでしまう。
悦はそんな俺からふいっと目線をそらすと、いきなり、テーブルの上に投げ出してあったノートを手元に引き寄せ、がりがり書き始めた。
何を書いているかは分からないが、何ページかにわたって書いている。うつむいた悦のつむじを眺めていると、ページをめくる音が大きく響いた。
こうなったら悦の言葉の攻撃を覚悟しないといけない。だけど、どうせいつも通り勝ち目はないのだ。俺は窓の外を眺めて、悦がノートを書き上げるのを待った。
わざとらしいため息で、俺の気持ちはテーブルの上に引き戻された。悦がノートを突き付けてくる。
[いつもこういうことになるの分かってるんだからさ、僕の嫌いなもの、ごはんに出さないでほしいのだけど]
「そんなわけにいくか。好きなものばっかり食ってると、また風邪ばっかりひくようになるぞ」
口を尖らせた悦が空白に書き足す。
[嫌いなものを食べるくらいなら、風邪をひいていた方がいい]
「お前なあ・・・」
呆れ顔の俺を無視して、ぺらりとページがめくられた。
[そもそも、草介さんは僕のお母さんではないのだから、僕にそんなこと言う必要はないと思うのだけど]
「何言ってんだ。俺はお前のこと心配して、」
一瞬、悦がにやりと笑った。
いきなりのことに驚いて言葉が切れる。さらにページがめくられた。
[僕のこと心配してるんだね]
悦の目がじっとこちらを向いている。その視線の強さから逃げるようにして手元のコップを手に取った。
一口あおりながら横目で見ても、悦は真正面からこちらを見据えていた。
静かにページをめくる音。
[心配なんだね]
念を押す言葉と一緒に悦がにやりとする。
「しょうがないだろ! お前が・・・」
思わず大きな声が出て、持っていたコップの中身が少しこぼれた。その行動に自分自身が驚いてしまい、潮が引くように冷静になった。
今度は俺が不機嫌そうにする番だ。
「満足かよ」
にやにや笑った悦が首を横に振り、さらにノートを繰る。
[僕のこと好き?]
深々とため息が出た。元々全部ノートに書いてあったのだ。俺は悦に全て行動が読まれていた。かなわない。白旗を振るように、俺はしぶしぶ頷いた。
とたんに悦が嬉しそうに笑った。勝ち誇った紫色の目。
テーブルに片手を突き、身を乗り出すようにして立った悦が、俺の頭をなでた。渋い顔をして悦を見上げる。悦は形のいい唇をの両端を釣り上げてペンをノートに走らせた。
[じゃあ食べてあげないこともない]
頭を抱える俺に、ふふ、と笑いかけると、悦は書き足した。
[僕はケーキが食べたいのだけど]
俺の瞳を覗き込んでくる紫がぐっと深くなった。
[おねがい]
丁寧に字が書かれたページを開いて手渡してくる。ノートと悦を交互に見て、またため息がひとつ漏れた。やっぱり俺は悦には勝てない。
「しょうがないな。ピーマンちゃんと食えよ」
投げやりに言うと、悦はうんうんと嬉しそうに頷いてフォークを手に取った。こういう顔はかわいいのだ、ずるい奴。
悦がまた俺の手の中からノートをさらう。さらさらとペンを走らせたあと、文字を書いた面を伏せてノートを渡してきた。柔らかいほほえみ。
思わずどきりとしてしまい、あわてて手の中のノートに目をおとすと。
[じゃ、僕ショートケーキ三つ]
「は?」
勢いよく顔をあげると、そんな俺をひひひと笑って悦はベーと舌をだし、うえっと言いながらもゆっくりとピーマンをかじりだした。
Liberamente November