Hallow Mr.monster


「よしできたっと」
紙がすれる音だけが響く集中した空気を、凜子さんのぱりっとした声が裂いた。
二つ繋げたテーブルの反対側で作業をしていた鯨真さんが勢いよく顔をあげる。
「ええっ!凜姉もうできたの?」
驚いた顔の鯨真さんに、にまっと笑い返す凜子さん。じゃーん!と手元で切り抜いていたものをつまみあげると、それはこうもりの形をした黒い紙だった。
カウンターでコーヒーを淹れている俺にも見せてくれる。
「これもどこかに飾るものなんですか?」
「そう。それはな、紐をつけて天井から吊るすんだ。今はただの紙だけど、ハロウィンパーティー当日にさ、照明をおとしたところで見たらきっといい引き立て役になるだろ」
「すごいね、そんなことまで考えてるの」
「まあな。鯨真は招待状できたか?」
「全然だよ。凝りだしちゃうときりがなくてさ、一枚作るにも時間かかっちゃうんだよね」
 鯨真さんが凜子さんと俺に完成した招待状を渡してくれる。鯨真さんが作っているのは切り絵で、その手元には苦労がわかるような細かい紙くずがたくさん散らばっていた。
「へえ、でもこれうまくできてんなぁ!」
凜子さんの感心した声。手に取った招待状は、なんだか一生懸命作ったのが伝わってきて、もし俺がもらったら、きっとうれしいって思ったと思う。
 俺も凜子さんに同意するように頷くと、鯨真さんは嬉しそうに笑った。
「頑張って作ってるからね」
 ちょうどオーブンが完成を知らせる音が聞えてきた。コーヒーの具合を見てから、棚から大きなお皿を取り出す。
厨房の奥に近づくにつれてこくなる甘い匂い。オーブンの窓から中をのぞくと、焼いたマフィンはどれもきちんとふくらんでいた。
オーブンをあけあつあつのままお皿に丁寧に並べる。試行錯誤したパーティー用のおばけのマフィン。成功のいい匂いがする。鼻をくすぐる甘さに、一気に嬉しさがこみあげた。
お皿を持ってテーブルの前に立つと、何も言わないでじっとこちらを見上げてくる鯨真さんと凜子さん。
二人の視線に混ざる期待。それを感じて、さらに俺は嬉しさに耐えきれなくて、いつもより大きな声で言ってしまった。
「完成です」
 顔を見合わせた、二人の笑顔が大きくなる。
「わーい、休憩しよう!」
 手元のものを適当に追いやって、がさがさと場所をあける。テーブルの中心にマフィンをおいて、それぞれにコーヒーをだす。
俺も椅子を持ってきて、三人でテーブルを囲むように座った。
「今年も楽しみだね」
 いちばんにマフィンに手を伸ばしながら鯨真さんがわくわくを隠しきれないように言う。
「みんなでわいわいしながら、食べて、おしゃべりして、踊ったりもしよう」
 薄暗く照明を落としたカフェが一晩だけのパーティー会場になる。思い思いの衣装を着たおばけ達が一つのところに集まって、今年はどんなパーティーになるんだろう。
一口かじったマフィンが口の中でほろほろとこぼれてさらに甘みを増した。
「あ、そうだ凜姉。今年も仮装の衣装作ってほしいんだけど」
「いいぞ。まかせろ」
 凜子さんは手先が器用で、去年もびっくりするほど丁寧な衣装を作ってもらったのを思い出す。
「凜姉はさ、裁縫はとびきり上手だもんね! 料理の腕は壊滅的だけど」
悪気なく付け足した言葉に、凜子さんの目がぎらりと光り、「いたっ」容赦なくげんこつが振り下ろされた。
 頭を殴られた鯨真さんは机に突っ伏したまま動かない。それをを冷たく見下ろす凜子さんの視線に背筋が冷えた。
 凜子さんが一瞬にして表情を変え、
「じゃあツユキはどんな仮装がしたい? なんでも作るけど」
鯨真さんに向けていたよりも大きな笑みで俺ににっこりと笑いかけた。
「え、えっと、じゃあ俺は、」
「あ、言っちゃだめ!」
いきなり顔をあげた鯨真さんの声にきょとんとしてしまう。
「なんでですか?」
うふふ、という含み笑い。鯨真さんがまた何か考えてる。
「あのね、ハロウィンの日にびっくりしたいから。衣装のことはあとでこっそり凜姉に伝えておいて。パーティの日にみせあいっこしよう!」
はい、と頷くと、嬉しそうにして、鯨真さんはマフィンをほおばった。
 鯨真さんはわくわくを作るのが得意だ。そしてそれを人に伝えるのも。
俺も鯨真さんの気持ちが移ったみたいに、自分の中でどんどん楽しみが膨らんでいるのを感じた。
「いろんな人が仮装してくるの、ほんと楽しみだよね。みんなどんなの着てくるかなあ」
 頬杖をついてコーヒーを一口飲む凜子さん。何かいたずらを思いついたような顔。にやり。
「いろんな奴が仮装してきたらさ、その中に本物のおばけが混ざってきちゃったりして」
「・・・え?」
 一瞬固まったあと、鯨真さんは俺の方を向いて、声を出さないで言った。
 ほ、ん、も、の?
かじりかけのマフィンが鯨真さんの手から離れている。すぐにあせったように鯨真さんは言い返した。
「そ、そんな凜姉。おばけが本当にいるかどうかなんてわからないじゃないか」
「でも、おばけがいないって決まったわけじゃないだろ」
しれっと返して凜子さんが二個目のマフィンに手を伸ばす。
「それに、その招待状には友達の友達の友達も呼んでいいですよって書いたんだろ」
 ちぎったマフィンのひとかけらで、傍に寄せてあった招待状を指したあと、それをぱくりと口に放る。
「じゃあ来てもしょうがないだろ」
ひいっと珍しい声を出して、鯨真さんは俺の腕にしがみついた。顔を覗き込むと、八の字に下がった眉と、不安げな瞳。すごく、情けない顔。
「どうしようツユキ」
 鯨真さんには悪いけど、ちょっと面白いと思ってしまう。
 大丈夫ですよ、くすりと笑いそうになるのを隠して、鯨真さんをちゃんと椅子に座らせた。少し覚めてしまったカップにコーヒーを注ぎ足して、手の中に渡した。
「鯨真さんは、おばけ、こわいんですか?」
 温かさを確かめるように両手でカップをもち、コーヒーを飲んだ鯨真さんがしぶしぶ頷いた。
「だっておばけだよ。こわいし、それに悪いことするかもしれない」
その言葉に、凜子さんは不思議そうに尋ねた。
「鯨真はおばけに会ったことあるのか?」
「え、ないけど?」
「じゃあ会ったこともないのにおばけはこわいとか、悪いとかって決めつけるのはそりゃお前、おばけに失礼だろ」
唇を尖らせた鯨真さんが疑わしげな眼を凜子さんに向ける。
「そうかなあ」
「面白い奴だっているかもしれないじゃないか。ダンスができるとか、歌がうまいとかさ」
「おばけには足がないからダンスはできないかもしれないよ」
「足がないからできるかっこいいダンスがあるかもしれないぞ」
 納得いかない顔で鯨真さんは俺の方を向いた。
「ツユキはどう思う?」
「・・・え?」
急に自分に話題を振られてたじろいでしまう。大丈夫、俺だって何も考えてないわけじゃないんだ。
二人の沈黙が俺の言葉を待ってくれるのを感じて、ゆっくりと答えを出した。
「えっと、俺は、楽しんでいってもらいたいです」
 鯨真さんが首をかしげる。
「おばけとかそういうの関係なく、来る人みんなに楽しんでいってもらいたいです」
ぽかんとした鯨真さんがぽつりと言った。
「おばけでも?」
「おばけでも」
 自信を持って返した言葉は、自分の中から小さくだけど微笑みを引きだしてくれた。
そんな俺を見て、今度は困った顔になった鯨真さんがこぼす。「ツユキは優しすぎる」
「でも、俺たちがパーティーを楽しみにしてるみたいに、もしかしたらおばけだってすごく楽しみにして来てくれるかもしれないじゃないですか」
表情を崩さないままの鯨真さんをじっと見つめ返す。
「鯨真さんだって楽しみにしてくれてるんですよね」
「そりゃもちろん!」
はっきりと言ったあと、鯨真さんははっと口に手をあてた。そして腕を組んでうーんと考え込む。
「鯨真さん?」
少しの時間のあと、自分の中で納得したように何度か頷いて鯨真さんが言った。
「うん、それもそうだね。楽しみにして来てくれたら、やっぱり楽しんでいってもらいたいよね」
満足げに頷く凜子さん。最後のマフィンを手に取って、鯨真さんの方にずいと身を乗り出した。
「で、鯨真。どうする? もし本物のおばけが来たら追い払うのか?」
「ううん。どんな人だってみんな大歓迎することにする」
確かな声で言い、鯨真さんは凜子さんがかじろうとしていたマフィンをとった。
「おばけでも?」
「おばけでも!」
鯨真さんがぱくりをマフィンをほおばって笑う。
 だけど小さく、自信を無くしたように付け足した。
「ちょっとこわいけど」
その声音に俺と凜子さんは顔を見合わせてくすりと笑った。



Liberamente October