05


ひとつ鍵盤を押してみる。
びんと伸びる低い音。ドの音。
最近やっと分かるようになってきた。
鍵盤から目線を移すと、ピアノの長椅子に座った草介さんが僕を見ていた。
その瞳をじっと見返す。「何か聴きたいのか?」こくり、うなづくと草介さんは微笑んだ。
そうだなぁ、とつぶやいて何を弾くか悩んでいる。
その間に特等席をつくろうと僕は長椅子の余った隙間に無理やり座った。
ぐいぐいと草介さんを押して居心地のいい空間を作る。
草介さんの困ったような笑いと僕の名前を呼ぶ声。
それを気にしないで草介さんの肩にもたれると、大きな手が僕の頭をなでた。
「何か聴きたい」その一言を僕は自分の声で言いたい。
でも 僕は ドの音を知っていても、自分の声は、知らない。