結局ケーキは何等分?


翻った水色のスカートを目の端でとらえて、オレは卵を混ぜる手を止めた。
鍋を煮込んでいた火を切り、後姿を追ってキッチンを後にする。
ぱたぱたとスリッパのかわいい音を立ててあるこが向かった先は玄関だった。
ドアのカギを開けようとしている背中に声をかける。
「あるこ、どうした?」
「あれ、Kouta聞えなかった? ベルが鳴ったの。誰か来たみたい」
振り返ったあるこの柔らかな髪の動きにどきりとさせられた分、
オレは誰かわからない誰かにむっとした。
だってそうだろう。今日はあることオレの特別な日なんだ。
大切な人を喜ばせる準備で大忙しのオレは、今この時間だって惜しいくらい。
あることふたりっきりなんて、どれだけ過ごしても至福の時間なのだ。
まったく、誰も呼んでないというのに、誰が来たっていうんだ。
オレはあるこを守るように、前に進み出た。
「オレが開ける」
不機嫌を盛大にこめたため息をつき、荒々しくドアを開けると、
「こんにちは!」
目の前に現れたのは、能天気な笑顔。
隣にいる奴はオレと目が合うと小さく頭を下げて、手の中の箱を抱えなおした。
それぞれ緑と赤のマフラーにぶ厚いコートを羽織っている。
風が鋭く吹いた。一瞬あたるだけで、体の芯まで凍るような冷たさ。
こんな寒い中を歩いてきたのだろうか。ふたりとも鼻の頭と頬が見事に真っ赤だった。
「悪いけどちょっとお邪魔するね」
勝手に入ってきて後ろ手にドアを閉めた。
寒さが断ち切られて正直ほっとする。入り損ねた風がドアをかたりと鳴らした。
へらへらしていた方は、オレの顔をじっと見ると、不服そうに口を尖らせた。
「お邪魔なのは分かってたけどさ、そんなにはっきり嫌な顔されるとさすがにおれも傷つくよ」
何も答えないオレを見て、ひとつため息。
すぐ帰るからご心配なく、と付け足すと嫌味ったらしく舌を出した。
ひっぱたきたくなる衝動を必死に押さえつける。
そんなことを目の前でしてしまえばあるこはとっても悲しむだろう。
自制心を総動員させ、右手を振りあげそうになるのをこらえた。
玄関に立ちはだけるオレの後ろから、あるこがひょっこり顔を出した。
「ツユキちゃんと鯨真ちゃん!いらっしゃい」
ふわりと笑って、ひらひらと手を振る。
口々に挨拶をしながら、ふたりは手袋をとって手を振りかえした。
あるこの笑顔が大きくなる。
ふわりとした笑顔は今日のための特別なワンピースによく映えた。
やわらかくふわふわの水色の生地に、ふんだんにつけられたレース。
腰の大きなリボンは、しっぽが揺れるたびにひらめいて蝶のように見える、綺麗だ。
あるこはいつもかわいいが、今日は一段とかわいい。
改めてあるこに見とれていたオレの幸せな気分に、ずうずうしくも鯨真の声が割り込んできた。
「せっかくプレゼント持ってきたのに、あんな顔するならKoutaさんにはあげなくていいよね」
ツユキの方を向いて言った鯨真が、急にオレに「いー、だ」と歯を出してきた。
脈絡のない行動に、いらつきを通り越してあっけにとられる。
「鯨真さん、そんなこと言わないでください」
そっぽを向いてしまった鯨真を見てツユキはやれやれと首を振る。
しばらく待ったツユキは、鯨真の気持ちがてこでも動かないと分かると、
やがて諦めて、オレたちに向き直った。
「Koutaさん、あるこさん、お誕生日おめでとうございます。これ、俺たちからのプレゼントです」
ツユキは手袋を取り、抱えていた箱を丁寧にあるこに渡した。
華やかなピンク色の箱に、深い緑色のリボンがかけられている。
わあ、と声をあげたあるこは、箱を受け取ると、とびきりの笑顔で箱を抱きしめた。
「嬉しい!ありがとう!!」
幸せいっぱいの表情に、オレの喜びも大きくなる。
「わざわざありがとな」
「いえ、俺たちがお届けしたかっただけですから」
あるこを見て笑顔がうつったのか、ツユキも控えめに微笑んでいた。
「鯨真さんと一緒に作ったんです、おふたりが好きなフルーツをいっぱいのせたんですよ」
大きく見開かれたあるこの目がキラキラと輝く。
「ホールケーキだから、あるこちゃん思う存分食べられるよ! 我慢なんてしないで、食べたい大きさに切って食べてね!」
いつの間にか機嫌を直した鯨真が明るい声で付け足すと、あるこはぴたりと動きを止めた。
スカートが少し遅れて静かにしぼむ。
目をぱちぱちさせた後、くいっと服を引っ張ってオレを見上げた。
「Kouta、ケーキいっぱいになっちゃったね」
ツユキと鯨真が同時に顔を見合わせる。
おそるおそるというように鯨真は言った。
「も、もしかして、あるこちゃんたちもケーキ作ったの?」
「うん。白くて、ふわふわで、とっても大きいの」
少しの間固まった鯨真が小さな声で零した。
「・・・しまった」
「そうだったんですね・・・」
ツユキの声にも力がない。鯨真が申し訳なさそうに続けた。
すっかりしょげてしまった二人の手をあるこがつかむ。
ツユキの手を左手に、鯨真の手を右手に取ってぎゅっと握るとふたりを懸命に励ました。
「あるこもKoutaもとっても嬉しいし、いっぱい食べるよ。だから元気出して、ね?」
あるこの言葉にツユキは頷いたが、うかべられた微笑みは薄い。
鯨真もらしくなく俯いてしまって、ますますあるこが心配そうな顔になった。
オレがなんとかしなければ。口を開きかけると、
「じゃあ邪魔にならないものをあげるよ!」
鯨真が顔をあげて叫んだ。
「邪魔にならないもの?」
出かかった言葉を飲み込み、聞き返すと、にっこりとした鯨真が頷く。
「そう。そして誰とも同じにならないとっておきのものをね!」
オレたちを見回す得意げな笑い。こいつ、何か企んでるな。
「ふたりとも、手を出して。こういう風に」
両手をそろえて水をすくうような形を鯨真は示した。
今度はオレ達が顔を見合わせる番だった。
あるこがぽかんとして首をかしげる。
「なにしてるの、はやく」
何を思いついたのか知らないが、さっぱり意味が分からない。
ほら、と言って急かしてくる、こいつはいったい何がしたいんだ?
いつも一緒にいるツユキならと目を向けたが、ツユキもオレ達と同じように不思議そうに鯨真を見ていた。
「ツユキも分かんないの?」
オレの目線をたどった鯨真が不満そうに言うと、あ、とツユキが声を出した。
鯨真の顔にたちまち満足げな笑いが広がる。
未だに状況がつかめないオレに「すぐにわかるよ」と鯨真は言った。
ツユキは少し屈んで、あるこに耳打ちをしている。
あるこは手を口にあてて何度も頷きながら聞き、話が終わると「まかせて!」とツユキに微笑んだ。ゆるく微笑み返すツユキが頷く。
こちらを向いたあるこは、オレの手をやわらかくとると、
「Kouta、一緒にやって」
ふたりの手を重ねて、鯨真が示した手の形を作った。
大きく頷きながら、鯨真がにこにこを顔いっぱいに広げる。
「じゃあ、まず、おれから」
両手を自分の左胸にあてた。ゆっくりと閉じて、開かれた目の奥の真剣な光。
「ふたりともお誕生日おめでとう!これからもふたり一緒にいっぱい楽しくすごしてね!」
そうして手の中は空なのに、掬った水をオレ達の手の中に移すような仕草をした。
「鯨真ちゃんありがとう!」
「どういたしまして。じゃあ次は、ツユキから」
鯨真と場所を変わり、今度はツユキが正面に立った。
両手を左胸にあてて、オレ達を見据える。目の緑色がぐっと深くなった。
「Koutaさん、あるこさん、お誕生日おめでとうございます。
これからもおふたりにたくさん幸せがありますように」
ツユキも同じように、何もない手の中からやわらかいものをオレ達の手の中に丁寧に落とすような手振りをする。
何もない、何も物もらってはいないのに、手の中が何とはなしに温かい。
何もないけど、何か手の中にあるような。
重ねていた手を解いて、はにかんだあるこがぎゅっとオレの手を強く握った。
「嬉しいね、Kouta」
もらったのは言葉と気持ちだけだ。
でも、そうだ。オレはその重みを何よりも知っている。
思わずオレは言っていた。「ありがとう」つないだ手から温かさが全身に広がるようだった。
「ツユキちゃんもありがとう!」
全身で喜びを表現するみたいに、あるこは勢いよくツユキに抱きついた。
驚きながらも受け止めるツユキを見て、いいなと言った鯨真が笑う。
「ツユキちゃんいいにおい」の一言に、ツユキは笑ってあるこの頭をなでた。
ふたりきりになるのは、夜からでもいいか。
ピンクに染まったあるこの頬を見て思った。
まだまだ時間はたっぷりあるし、それになにより、結局のところ人が多い方が楽しいのだ。
「よかったら、一緒にケーキ食べてかないか?」
ツユキと鯨真は驚いた顔をオレに向けた後、嬉しそうに笑った。
「でも、あるこちゃんとふたりっきりになりたいんじゃなかったの?」
にやにやする鯨真に、渋い顔で答えた。
「夜の方がロマンチックだ」
ふーんと言いながらも、好奇心が満ちた目で顔を覗き込んでくる。
睨み付けてやると、ゆるみきった頬のまま、鯨真は目をそらした。
「あ、そうだ!」
ぱちんと手を叩く音。また鯨真は何かを思いついた笑いをうかべている。
「友達をよんでもいい?せっかくだから、みんなでお祝いしたいんだけど」
この際だ、2人も3人も変わらない。頷くと、
「鯨真ちゃん、電話こっちよ!」
あるこが鯨真の手を引いて、屋敷の奥へと駆けていった。
廊下の角で振り返った鯨真が、べー、と舌を出して消える。
「覚悟してくださいね」
「ん?何をだ?」
「俺はもう慣れっこなんですけど、」
落ち着いた声でそこまで言うとツユキは微笑んだ。
「きっと鯨真さん、お友達信じられないくらい呼びますよ。たくさんの方が楽しいからって」
言い終わるか言い終わらないかのうちに、オレは慌てて駆けだした。



カヅシさん宅Koutaさん、まひろさん宅あるこさんをお借りしました。
Happy Birthday!!